甲斐とは?/ マイワン
[ 1239] 甲斐国 - Wikipedia
[引用サイト] http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%94%B2%E6%96%90%E5%9B%BD
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甲斐国(かいのくに)は、かつて日本の地方行政区分だった国の一つで、東海道に位置する。現在の山梨県にあたる。甲州(こうしゅう)と呼ぶこともある。延喜式での格は上国、中国。 7世紀に成立した。内陸国だが東海道に属し、駿河国から甲斐国に通じる支線があった。日本列島における東西の政権にとって最前線と位置付けられることが多い。古代には甲府盆地に畿内色の強い甲斐銚子塚古墳が立地していることからヤマト政権の東国における進出拠点になっていたと考えられており、中世には京都と関東(鎌倉)の中間に位置することからそれぞれの防衛拠点として位置付けられた。戦国時代に武田氏により独自の大名領国を形成されたが、武田氏が滅亡すると再びその傾向は強くなり、豊臣政権は関東8か国を領した徳川家康に備えた最前線として豊臣系大名を配し、江戸時代には天領として、東海道や中山道とともに、甲州街道の通る甲斐は政治的・経済的中心地である江戸防衛の戦略正面と位置付けられた。 国府は、和名抄に八代(ヤツシロ)郡とある。拾芥抄では、山代(ヤマシロ)郡(八代郡のこと)、府と記載ある。 現在の笛吹市春日居町の「国府」地区か、国分寺があった笛吹市一宮町の国分付近に置かれたと推定される。一宮町の国分からは国分寺跡が発見されたが、国府の遺跡はみつかっていない。後、和名類聚抄ができた平安時代の国府は現在の笛吹市御坂町にあったとされるが、これも発見されていない。 守護所は未詳だが、鎌倉末期以降は石和にあったと推定される。現在の甲府市が甲斐の政治的中心になったのは、永正16年(1519年)に武田信虎が躑躅ヶ崎館を建造してからである。 国分寺は、僧寺が笛吹市一宮町国分にあり、伽藍跡などは発掘されている。尼寺は笛吹市一宮町東原にあったと考えられている。 延喜式神名帳には大社1座1社・小19座19社の計20座20社が記載されている。唯一の大社は八代郡の「浅間神社」で、名神大社に列している。ただし、この式内浅間神社の比定社は笛吹市一宮町の浅間神社、南都留郡富士河口湖町の浅間神社、西八代郡市川三郷町の一宮浅間神社の3社ある。 一宮は笛吹市一宮町の浅間神社(一宮浅間神社)といわれているが、一宮が浅間神社だと直接示す史料は中世にはなく、南都留郡富士河口湖町河口鎮座の浅間神社或いは西八代郡市川三郷町高田鎮座の一宮浅間神社であると論争されている。初見は1551年の史料になる。二宮は笛吹市御坂町の美和神社で、三宮は甲府市国玉町の玉諸神社、四宮は東山梨郡春日居町の甲斐奈神社である。いずれも、戦国時代に武田氏によって整備されたものである。 総社は、元々は笛吹市一宮町の甲斐奈神社(四宮の甲斐奈神社とは別。ただし、こちらが総社とする説もある)であったが、後に武田氏が創建した甲府市の府中八幡宮にその機能が移された。 |
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