青森とは?/ マイワン
[ 438] 青森県 - Wikipedia
[引用サイト] http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9D%92%E6%A3%AE%E7%9C%8C
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浅虫夏泊県立自然公園、大鰐碇ヶ関温泉郷県立自然公園、種差海岸階上岳県立自然公園、名久井岳県立自然公園、芦野池沼群県立自然公園、黒石温泉郷県立自然公園、岩木高原県立自然公園、赤石渓流暗門の滝県立自然公園 縄文時代の遺跡として、三内丸山遺跡、亀ヶ岡遺跡、是川遺跡などが現在までに発見されている。これらの遺跡には豊富な土器・広い集落、また他地方のものと思われる遺物が発見され、文化・経済などの面で周辺にも強い影響を与えていたと考えられている。また、弥生時代前期の遺跡として同じく津軽地方では垂柳遺跡が発掘されており、コメの栽培が行われたことが確認されている。ただし弥生時代中期に稲作は衰え、津軽から大幅な人口流出があったものと考えられている。 畿内で大和政権が成立し、日本各地で古墳が盛んに作られるようになった時期にも、同地域では終末期古墳が少数存在するだけである。大和政権が本州・四国・九州のほとんどの地域を勢力下に治めた後も同地域は統治領域外にあり、蝦夷(エミシ)と呼ばれる人々が独立性を保って居住していた。こうした事情もあって当時の同地域を考察するための文献資料が余りにも少なく、今後の発掘調査の成果が待たれる部分も大きい。 「爾薩体」は、岩手県二戸郡・九戸郡から青森県三戸郡にあたる地域を指すと考えられている。青森県では従来「にさて」と読まれることが多かった。「にさたい」「にさったい」とも読まれる。岩手県二戸市に「仁左平(にさったい)」という地名がある。かつては「爾薩体」と表記されており、古代の「爾薩体」につながると考えられる。 11世紀、岩手県北上平野の地域に俘囚長安倍氏 (奥州)の勢力が確立すると、岩手県北から下北半島にかけての糠部地方で同族と見られる安倍富忠が有力となった。前九年の役において富忠は源頼義に使わされた金為時の誘いを受け朝廷方についた。安倍頼時は富忠に対する説得のため、わずかな手勢を引き連れて北上したが、富忠は頼良を攻め、矢傷を負った頼良はこれが元で死亡した。頼良を滅ぼした富忠だったが、朝廷や源頼義からの恩賞をうけた記録は無く、以後の糠部安倍氏に関する史料はない。北上平野の安倍氏はついに滅ぼされたが、貞任の子の高星丸が叔父の安倍則任とともに糠部を経て津軽に落ち伸び、津軽安東氏(安倍姓)の祖となったとの伝承がある。 青森県域が明確に中央政権に組み込まれるようになったのは鎌倉時代初頭であると考えられている。平安時代末期に奥州藤原氏を倒した源頼朝によって南部氏が糠部五郡を与えられたとの記述があり、南部氏自体がその領土を与えられたかは別にして、同地域が鎌倉幕府の影響に入ったことはうかがえる。この時代から室町時代中期にかけて、津軽安藤氏が下北半島や津軽半島、また蝦夷島(北海道)の沿岸部を支配し、海上交易で栄えた。特に十三湖沿岸に築いた港(十三湊)には大きな町が形成され、現在でも中国や日本各地の陶磁器が出土している。 ところが津軽安藤氏は鎌倉時代末期に内訌を起こして(津軽大乱)勢力を後退、また、南北朝時代の到来に当たっては北朝側につき、現在の岩手県南部から青森県東部の内陸部に勢力を持ち始めた南部氏は南朝方についたために同氏と対立、抗争した。情勢は南部氏有利に進み、安藤氏は蝦夷が島に駆逐された。南部氏は海上交易にはあまり力を入れず、安藤氏によって繁栄した各港は衰退した。一方、室町時代半ばには津軽地方では浪岡を中心に北畠氏が大きな勢力を誇った。 15世紀半ばに安藤氏を駆逐した南部氏は大きく勢力を拡大、16世紀半ばには津軽・下北・糠部地方一帯の広い領土を支配し、「三日月の丸くなるまで南部領(領土が広いために南部領を進んでいるうちに三日月が満月になってしまうということ)」と讃えられた。しかし、16世紀後半になると南部氏の一族の大浦為信が他の南部氏の諸城を落城させ、津軽地方、外ヶ浜、糠部の一部を支配した。為信とその子信牧の二代をかけて弘前城の築城、同地への城下町の建設、羽州街道や岩木川の整備などが行われた。一方、南部氏は青森県東部は所領として残った。 江戸時代には主に盛岡藩8万石(後に20万石に高直し)と弘前藩4万5千石(後に10万石に高直し)が現在の県域にあたる地域を支配した。ほか、盛岡藩の支藩として八戸藩2万石、七戸藩1万石そして弘前藩の支藩として黒石藩1万石があった。いずれの藩においても最北の地にあるため飢饉の際に大きな被害を受けたが、下北地方では餓死者がほとんどいなかった。江戸時代においても青函海峡沿いにアイヌ人がいたと伝えられている。 戊辰戦争時、弘前藩も盛岡藩も当初奥羽列藩同盟に属していたが、途中で弘前藩は官軍に寝返った。戦後、盛岡藩は大幅に石高を減らされ、その跡に斗南藩が置かれ、もと会津藩の松平家が3万石で入った。 1931年10月 米国の太平洋横断機ミス・ビートル号、三沢淋代海岸から出発し合衆国ワシントン州ウェナッチに着陸。世界初の太平洋無着陸横断飛行。 アナログ式腕時計の文字盤に貼り付ける目盛、数字を時字(ときじ)という。同社の電気分解成形法の応用で生み出された文字盤用電着時字技術は、製造工程の大幅な省力化、低コスト化及びデザインの多様化を実現。 2002年の世界の腕時計の総生産数は、1,245百万個と推定されているが、同社で年間1,000万個生産され、高級時計用として世界中に輸出されている。 青森県はリンゴの生産地であり、日本産リンゴの約半数が青森県産である。リンゴ栽培は生産量日本一の弘前市を中心とする津軽地方で盛んだが、三戸郡を中心とした南部地方でも行われている。 津軽海峡で捕れるマグロは高級マグロとして首都圏に向け、出荷される。特に大間町産のものは「大間のマグロ」としてブランド化しつつある。 八戸港は、日本でも1,2位の漁獲高を誇る。主な水揚げはイカ、サバ等。ちくわ、塩辛等水産加工業も盛ん。 ※ 目時駅〜八戸駅間の鉄道施設を青森県が保有(第三種鉄道事業者)、青い森鉄道が第二種鉄道事業者として鉄道事業を行う上下分離方式が採られている。 津軽地方には砂糖を入れた甘口の赤飯があり、コンビニなどで買うこともできる。また、栗などを入れた甘口の茶碗蒸しも食べられていて、塩味の赤飯や茶碗蒸しを食べ慣れている県民は多くなく、ほとんどの地域で甘口の物を食べている。 FNN・FNSは北海道文化放送・秋田テレビ・岩手めんこいテレビのいずれかを受信している世帯がある(ただし、報道取材のためにフジテレビが青森市に青森支局を設置している。岩手めんこいテレビは八戸支局を設置している)。 もともと、青森県第3局目の民放テレビ局関係者はフジ系での開局を希望していたが、キー局のフジテレビが新しいネット局の開局に熱心ではなく、既存局の反発もあったため、テレビ朝日系で開局したという。(その名残で青森朝日放送の株主の1つにフジサンケイグループの産経新聞社がある)青森県にフジテレビ系列のテレビ局が開局できなかった理由は多数あると思われる。その為、競走馬生産が盛んにも関わらず、衛星放送が始まるまで競馬中継を殆ど見られないと言う問題を抱えていた。 そのほか、津軽半島・下北半島の一部地域では北海道文化放送、テレビ北海道のほか、NHK函館放送局、北海道放送、札幌テレビ放送、北海道テレビ放送の受信可能な地域がある。 ※ほか、北海道放送、STVラジオが県のほとんどの領域で受信可能。岩手放送と秋田放送については、各県境沿いのごく一部に限り受信できる。 津軽海峡は公海(特定海域)であるため、他国の核兵器を搭載した軍艦や潜水艦の航行、および、津軽海峡上空の軍用機の通過が可能である。そのため、突発的な戦闘に対する専守防衛には、津軽海峡に面した警備所と、近接する後方基地が必要であり、青森県には海上自衛隊の拠点が置かれている。 また、戦後の冷戦時代には、仮想敵国のソビエト連邦が実効支配するサハリンや北方四島と近接する北海道に陸上自衛隊の主力拠点が置かれたが、航空基地攻撃に遭わない程度離れた青森県には、支援戦闘機の基地、および航空自衛隊の主力拠点が置かれた。 陸に関しては、北海道が奪取された場合を考えての基地配備となっており、本州防衛のための前線基地とされている。そのため、方面総監部(上位の司令部)は、後方の仙台に置かれている。 なお、海上保安庁による沿岸警備に関しては、宮城県塩竈市にある第二管区海上保安本部の管轄となっており、沖合いは、太平洋側が第二管区、日本海側が第九管区(新潟県新潟市)となっている。 北方領土などの問題で北からの攻撃があった場合、八戸基地に対策指令本部が置かれることになっている。 三沢基地(方面隊司令部・第3航空団・第6高射群)、千歳基地(第2航空団・第3高射群)。分屯地(稚内・網走・根室・襟裳・当別・奥尻島・長沼・八雲・大湊・東北町・車力・山田・加茂・秋田) |
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